
たぶん空とかにある
苔のびっしりと生えた石段を上る。
初夏の青々としながら澄んだ空気を吸い込んで見上げた先、あちらとこちらを隔てる注連が覗けば、もう少し――目線は上に固定するのがコツなのだという教えを守りながらも重くなりつつあった足が一段、また一段と進むたびに不思議と軽くなってゆく。あたしの背は順風に押され、最後の二段をぽんぽんと駆け上がった。
待ち構えていた古風な社めいた建物からは、かりんお嬢様の別邸に劣らないほど厳かな迫力が放たれている。その瓦屋根の天辺で、一羽の猛禽――蒔威がピィーと鳴いた。
「そううるさくせんでもわかっておるわい」
「是空さん……!」
「おお。疲れたじゃろう、柘榴」
引き戸をがらりと開いて出てきた是空さんは、日に焼けて皺の深く刻まれた顔に笑みを湛えながらあたしを認めた。時を置いたからだろうか、それとも欲目というやつなのか、深緑の着流しに目の冴えるような橙色の帯を締めたその姿は緩やかなのに凛々しくも映る。思わず駆け出した足はしんじられないほど軽くって、
「すぐに茶を……っとと、どうした?」
着物越しにもはっきりわかるほど鍛えられた胸に飛び込むまではあっという間だった。
「急に走ると危ないじゃろう」
「本物の是空さんだぁ……」
「聞いとるのか?」
危ないことなんかない。だって是空さんは半歩すら退がることなくあたしを受けとめてしまうし、もし転けたとしても地面に顔を擦り付けちゃう前に拾いあげてくれるに決まってるから。
背中に腕を回して甘えれば、髪がくしゃくしゃになるほど撫でてくれる手。久々の是空さんには、いつもの温かみのある沈香に少しだけ汗の匂いが混ざっている。
「まったく。とにかく中に入らんか、此処は陽射しが強すぎるからの」
そう言って是空さんはあたしを横抱きすると、器用に足で戸を閉めた。
「嬢ちゃん、降りる――のは嫌か。聞くまでもなかったな」
まるで離れたくないのがあたしだけみたいな言い方が少しだけ気になる。歳上の余裕なんて、こんな小娘に手を出した時点で失われているも同然なのに。
そんなことを思いながらも、あたしは頷きながら是空さんの首に腕を絡ませ抱き付いてみせた。けれど是空さんは動揺なんかしない。当然のように見据えてくる瞳は穏やかに、視線だけであたしを可愛がっているみたいだった。
「……こうされてると、あの日を思い出します」
「あの日……どの日のことかのぉ」
「決まってるじゃないですか、初めて会った日――」
あの日、神月家の約八十万平米を誇る敷地内でGPS発信機も持たずに遭難していた日――このまま誰にも見つけてもらえずミイラになっちゃうんだとわんわん泣いていたあたしはうっかりにうっかりを重ねて崖っ縁で足を滑らせ、斜面に生えた木にぷらーんと引っ掛かっていた。
そこに現れたのが是空さんだ。
まあ、まさかこんなやつが神月の“くのいち”とは信じられないと疑われてあらゆるところを調べられたし、結局『犬に噛まれたとでも思って忘れてくれ、この通りじゃ!』と頭を下げられたのだけれど。
それから何度も偶然が積み重なって、体術の手解きを受けるうちに距離が縮まって――――
「是空さん、あの、久し振りなのになにか言うことないんですか?」
「うん?」
「会いたかったとか、寂しかったとか。……あたし数えてたんですよ、前に会ってからの日数。是空さんは?」
聞けば、きょとんとしながら首を傾げられる。まさか会いたくもなかったし寂しくもなかったのかと問い詰めかけた矢先、是空さんは木の実の弾けたように破顔して、玄関に「はっはっはっ」という大きな笑い声が響いた。
「はー、そうかそうか。……いや、すまんな、儂はこっそり柘榴を見ておったもんじゃから」
「なっ」
「儂の写真を見つめてぼーっとしておったのも知っておるぞ。そのせいで泣きべそかきながら罰を受ける嬢ちゃんはなぁ、これがまぁ〜可愛かっ」
「是空さんっ!」
「た……っはは、すこし喋りすぎたわい。おぬし可愛さでやったことじゃ、許してくれ」
まったくこのひとは、と呆れられる立場でもないあたしは嬉しいんだか恥ずかしいんだかわからなくなって、是空さんの視界から逃げるように彼の首元へ顔を埋める。子供っぽいと思われようが今更だ。……それに、あたしだって知っている。
こうして甘えられるのが好きみたいだから、このひとは。
だから、もしかすると、これでスイッチが入るかもと期待する。
「さて、柘榴」
「あ」――うそ、もう?
「ずうっとしがみつかれるのも良いんじゃが……そろそろ儂にそのかーわいい口を味見させてくれんか」
そう言って是空さんはあたしを容易く引き剥がすと、腰を掴んで抱き上げ直す。バランスを崩すよりも先に背中を土壁に押し付けられて、あたしは無意識に息を呑んだ。会いたかったし、寂しかったし、……たくさん触れたかった。けれど、まさかこんな性急に事を運ばれるとは思っていなかった。
「っい、言い方がやらしすぎます」
「ははっ――まあ、やらしいことを考えておるからな」
是空さんの唇が近付いて、額に。閉じてしまった瞼に。頬をなぞるように移動して、あたしの口を掠めるとすぐに離れた。そして、触れそうで触れない距離まで近付いては別のところへ。耳の軟骨を緩く挟みながら滑って、耳朶には音を立てて吸い付き、また離れる。息のかかるほど近くにあるくちびる。意地悪そうに歪んだそこがいつまでもいつものようにぱくんと食べてくれないから、焦ったくて、だのにぞくぞくとして頭が痺れてしまう。
「なんで、っぜくうさん」
「……嬢ちゃん、ちろーっと舌を出せるか?」
あたしはもう一度「なんで」と言った。けれど是空さんは何も言わずあたしをじっと見つめて、壁と自分とであたしを挟んだまま腰を掴む手に力を込める。
「じょ、う、ちゃん?」
宙に浮かされた脚が、条件反射のように跳ねた。
――あ。あ、うわ。
是空さん、勃ってる。どうして。……あたしに悪戯、して?
「あっ、あ……?」
硬いものが柔いところに押し当てられているのを知覚ってしまうや否や、まんまとお腹の奥が切なくなる。なんで、こんな。あたしは懲りずにもう一度「なんでぇ……」ととびきり甘えた声で鳴いて、手練手管に従わされている。
「そうそう。そのまま口を開いて、舌を――」
是空さんはあたしの舌を長い舌の先でつつくと、奥へ引っ込めようとしたそれと一緒にぬるりと口の中へ入ってきた。まさに“味見”をするかのようにじっくりと隅々まで舐められて、舐められたところぜんぶが気持ちいい。キスだけでこんなにさせられて、挿入ってきたらどうなるんだろう。興奮している是空さんの、さっきより大きくなってるものに貫かれたら。どう、なっちゃうんだろう。
「ん……んぅ、……ぇくうさん……っ……もっとぉ……」
「よしよし、もっとじゃな。ンん……はぁ……しかしこうなると、嫌というほど可愛がってやりたくなるのぉ」
そうしたらきっと是空さんでいっぱいになる。
「ぁは、っ」
そうしたら、あたしの中から手を振りながら出ていくあたしの中に居られなくなったあたしは、どこに行っちゃうんだろう。もし行く先を選べるなら、あなたの匂いのするとこがいい。ここみたいなところがいい。
ずっとここにいたい。