もうなにも

 死肉に群がる鳥たちが騒いでいる。目蓋を閉じていてもはっきりと分かった。この一帯に、数千の兵が転がっているはずだった。中途半端に助かるのは――最悪だ。
 生きたいと思っていたわけじゃない。むしろ死地を求めていた。だがそれでも、死にかけのまま、どうにもできない後悔が募っていくのは耐え難いものがある。あれを食いたい、これをやりたい、逃してやった馬の無事を知りたい。人を殺すことばかりが上手くなってしまった私に懐いていた童たちの歌をまた聴きたい。しかし。
 ガァと鳴いて腹を突いた嘴の持ち主を掴むだけの体力はあったが、それ以上の気力など無かった。
「しかし、なぁ……」
 易々と食われてやるほど私は優しくないのだ。
 最期に斬るものが武人でなければ人でもなく、ただの鳥とは虚しいことだけれど――その時だった。人の足音が聞こえ、鳥の首を絞める。激しい羽音が聴覚を鈍らせ、私はゆっくりと薄目を開けた。
「そうだね、食べない方がいい。そのひとは恐ろしいから」
 声が聞こえた。
 懐かしい声だった。聞こえた方向へ視線を動かせば、邪魔な死体を足で退かしながら男が近付いてくるのが見えた。
「……その、声は」
「起き上がれるかい、柘榴
「おまえ、……お前、どうして」
 徐庶――ああ……いつ振りに見えたのか。
 返り血の見られない……土埃の汚れが目立つ衣服から察するに、戦に巻き込まれたわけじゃないだろう。それに、彼が戦場に居たならその活躍を耳にしないはずがない。ならば、どうしてこんなところに。それに、わざわざ声を掛けるなんて。と――口に出すよりも先に、掴んだままだったものを投げつけた。
「やれやれ。すぐに手が出るのは変わらないんだな……とりあえず、水辺まで連れて行こう。血塗れで見てられないよ」
「ハッ……、ハハ、金目のものでも、探してたら、どうだ」
「見知った人間を放っておくなんて、君にはできても俺にはできない」
 差し出された手は、優しさや気遣いというよりも義務だ。有りっ丈の力を込めて掴んでやれば情けない呻き声が洩れて、ああ、これだ、これ。幻覚でもなんでもない、紛れもなく徐元直だ。
「これ以上は無理だ、おぶってくれ。放っておけはせんのだろう?」
「……君、本当にあの頃となにも変わってないな」
 そう言いながら私を背負ってくれるお前も、変わっていない。
 あの頃――あの頃は、二人で泥だらけになるまで遊んだな。飽きることなく駆け回って、一緒に迷子になったりもした。文字を覚えて、剣を振るって、出来ることを覚えた端からなんでも共にしていたのに、ひとを殺すのだけは先を越された。覚えている。闇の中を走り去っていくお前の、どんどん遠くなっていく背に追いつくことができなくて、手を伸ばして名を呼んだのに振り向きもしなかったお前の噂を辿りながら、すっかり見失っていたけれど。忘れかけて、いたほどだけれど。
「なあ……徐庶」
「なんだい」
「徐庶……元直……聞こえてる、か」
「聞こえてる。柘榴、今はあまり……」
「いいんだ、徐庶。聞いて、て」
柘榴
「徐庶、頼むから、もう……置いて、いかないで」
「わかった。……わかったよ、柘榴

 追いかけていたものに、やっと追いついた。こんなに近くて、とても、とても嬉しいのに、体からは力が抜けていく。背負い直された振動で息が詰まりそうだった。……なあ、こんなに暖かかったかな、お前は。こんなに逞しかったかな、お前は。それとも、私が――

「……柘榴、……柘榴?」

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