知るは足るを知らない

 ――まただ。
 土産として配られた串団子をもちもちと噛みながら、ザクロは己に刺さる視線の主へ背を向けた。休暇を取得したら絶対にユクモへ行こう、現地調査には迷わず飛びついてやろう。極上の温泉たまごは口にすれば身体までとろけてしまうようだとも聞くじゃないか。資料を読み込んでいるポーズを取りながら現実逃避をしてみても、依然として向けられる視線は外されることがない。場所を移そう。心做しかうなじの辺りが痒くなってきたザクロは立ち上がると、机の上を見ないままあるはずのものへ手を伸ばす。
「あれ」
 いつもならば指先に当たるものがあるはずだった。ザクロは不思議そうに手の位置を確認し、ほとんど無意識にそう言った。独り言として放ったそれに、
「修理に出しただろ」
 と、返されるとはまったく思わないまま。
「眼鏡」
「え」
「……無くても見えるんだな?」
 ザクロがそちらへ振り向くと、その人、ヴェルナーは皺の刻まれた自らの目元を指差しながら口の端を片側だけ上げた。ぎこちなく頷いて肯定するのを認めた男の両目が細められ、僅かに覗く緑石の色は深く沈むように濃くなる。ザクロは彼の目が苦手だった――見つめられる頻度の多さに気付いてから、ずっと。
 ヴェルナーはザクロが言葉を詰まらせている喉に所在を失くした手、彼と真反対の方に向けられる爪先まで、観察でもするようにじっと見つめながら距離を詰める。そして息のかかりそうなほど近くまで来ると、「ザクロ」当たり前のように名前を呼んで、頬へ触れた。
「あんまりあんたばかりでもしょうがないんだが……うん、やっぱりそうか」
 そこから先は聞こえないほどの小さな声で続けられ、ザクロの耳には届かなかった。しかし、ヴェルナーは一人で納得したらしい。くつくつと笑う男の意図のわからないまま、皮膚の硬化した職人の指はザクロの頬から唇までを撫でた。
「な、なにを」
「わからんか」
 やっと恐ろしくなってきたザクロが後退りすれば、なにが楽しいのかやはり込み上げるものを耐えられないように笑いながら更に距離を縮めたヴェルナーの手はザクロの手を取って自身の胸に当てる。
「惚れてるらしい」
 速まる鼓動が証明だとでも言うのか。
 無愛想な顔のまま告げることがそれなのか。
 それにしても一体――
「……な、なぜ?」
「それだよ。それを俺も知りたいんだ」
 ヴェルナーが「どうなってる?」と呟いて首を傾げるのを、ザクロは茫然自失に見つめていた。夜鳥に襲われた者でもここまでにはならないだろうに、と、憐れみすら向けていたかもしれない。

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