
花を摘むより石投げるより
「あ。ねえねえ、見てて」
猿猴の女はそう言って彼女のために用意された水菓子の山から葡萄の房を手に取ると、その粒を一つ二つと口へ放り込んで膨らみきった頬の片側を蒼坊主に近付けた。
「無理に食べると喉に詰まらせますよ」
「ほひへひへ」
「お断りします」
眉間に皺を寄せた蒼坊主が素気無く断れば、女は同じように顔を顰めてから葡萄を吐き出す。ぷ、ぷ、と唾液に塗れた粒が出てくるのに合わせて律儀に顔を背ける蒼坊主は、次いで出てきた「あの娘はこれで大笑いだったんだけどな」という言葉に、今度こそ目の前が眩む思いをした。
鞍馬天狗が何処からか見つけてきたこの女は、あまりに、悪影響が過ぎる。
死にかけであった数週間前までは看過できていた品の無い言動も、自由を取り戻しつつある今は捨て置くことができない。聞けば、そもそも死にかけていた経緯も賭け事に大負けしたからだというではないか。這う這うの体で逃れてきたにしてはもう動けるからと屋敷の屋根に登る、庭の木の枝からぶら下がる、池の中から飛び出してくるを繰り返し、開いた傷口を蒼坊主に“手厚く”塞がれて悲鳴を上げる。女の行動は、彼の理解を超えていた。
「あーあ。つまんない」
用済みとなった葡萄の粒を縁側へ転がして遊んでいる彼女の腕、その骨だってまだ万全でない。
唇を尖らせた女がそのまま立ち上がろうとするのを制して、蒼坊主は言う。苦々しく。
「……頼む、おとなしくしていてくれないか」
「おまえだって見張りなんかつまんないでしょ、ずっと正座なんかしちゃってさ」
――誰がそうさせていると思っているのか。
あまりにも軽はずみな女を心配した鞍馬天狗の計らいで、せめて全身の骨が元通りになるまでは、と見張ることになったのが一昨日のことだ。しかしこの女、質の悪いことにそれなりに妖力が強かった。初日に見張りについた木の葉天狗を縄で縛ってふらふらと出歩いているところを蒼坊主が半日かけて追い回さなければならなかったほどに。
「ふむ。しかしそれほど暇ならば、拙僧が説教などしようか」
「ああ、いいね。なにもないよりずっと良いよ」
予想外の返事だった。神仏の概念を持つのかすら怪しんでいたものだから、蒼坊主は思わず目を見張る。
「どうしたの」
「……驚いた。いや、……聞く耳を持たないものだと」
そんな彼の開かれた左目に真っ直ぐ向けられた女の指が、ぐるぐると円を描く。
「そういうのが居てもいい。おまえみたいなのが居てもいい。なんにも居ないよりは、ずっと良いからね」
蒼坊主は、やはり分かり合えなさそうだと溜め息を吐く。
それから、彼女がすっかり飽きて寝入るまで経を語り聞かせることにしてやった。