
MALICIOUS
秋の終わり、冬の始まり。
ぐっと引き締まった夜風の冷たさは肌を切り刻むように鋭く、身体中の生傷から入り込んで体を凍えさせ、私は安堵する。今冬の初雪はいつもより早いそうだよ――そう言って素足を揺らす私を背負ったまま空を飛ぶジャスティスが、悴んで赤くなった素足の先をじっと見ている。寒くはなかった。寒さなんて、どうでもよかった。
上空から見下ろす山々のどこかで、私たちは死体を燃やしてきた。
――もっと正確に言えば、私が殺しちゃった人をジャスティスが細かくちぎって、一緒に袋に詰めてから、ジャスティスが軽々と掘った穴の中に袋ごと放り投げて、私がマッチを擦って、……二人で、眺めていた。
「ジャスティ」
飴玉を口の中で転がすみたいに、その名は甘い。実際私の口内に広がっているのは血の味なのだけれど。正義、公正を意味する彼の名を、もう一度呼んでみる。「ジャスティ」と、愛称みたいにスを抜いて。
超人の頭蓋を片手で砕ける彼にとって、人間の筋繊維も脂肪も骨も、紙切れを破いてみるくらいのもので、私にとっても暇潰しにすらならなかった。鍛えていたとはいえ、ただの人。ただの人でそれならば――私はどれだけ脆いのか。長く続く彼の沈黙が気に障らないのはきっと、私のことを考えているからなんだろう。
電信柱みたいに太い首へ回した腕の力を強める。
彼の背に負ぶさるのは、これで三度目だ。
二度目はさっき、此処まで来るとき。
一度目は、十数年前。マンションの自室から飛び降りたときだった。
それ以来――生かした責任を取れと怒鳴り、暴れ、文字通り噛み付こうとした私に首を差し出して頷いたきり、私の前にジャスティスが姿を現したことはなかった。だから私は、今までジャスティスが何をしていたのかだって知らない。彼が空中で交わされた約束を忘れていなかったことすら、今日、ベランダに繋がる掃き出し窓をノックする大きく特異なシルエットを見るまで知らなかった。
息苦しいとも邪魔だとも言わないジャスティスが、山間を流れる川を見遣ってから「冷たいだろうな」とだけ呟いた。いったいどうしてそんなことを思うのか、私にはわからない。けれど私のことを考えているから出てきた言葉には違いないはずなので、知りたくなって聞いてみる。
「確かにもう水遊びには向かないだろうけど、なんで川?」
「返り血だ――洗い流したくはないのか」
「……ああ、そんなこと」
そういえば、勢いのままに殺したせいで部屋も汚してしまったんだ。お気に入りのクッションも、このふわふわなルームウェアも、組み立てたばかりだった棚も、引っ越した時から使っているカーテンも、台無しだから捨てなくちゃいけない。もしかしたら拾い損ねた肉片だって残ってる。ただでさえ掃除なんて嫌いなのに。俄然帰りたくなくなってきてしまった。
殴られた頬が今になって痛む。
やり返すため手に取ったマグカップの柄を覚えてる。二人で選んだものだった。オレンジとブルーの色違いで、デフォルメされた二羽のニワトリに三羽のヒヨコが描かれてて……ああ、オレンジの方だけ真ん中のヒヨコの足が消えかけていたことは、私が覚えててあげなくちゃいけない。壊してしまったのは私だもの。でも、私がこうなってしまったことは……私のこれまでを、誰が覚えててくれるんだろう。――そう考えたとき。思い当たるのは、たったひとりだ。
「……ジャスティは、私たちがやったことが犯罪だってわかってるの?」
「ああ」
「私みたいなやつはいつか人を殺すって、あなたはわかってたんじゃないの?」
「ああ」
「じゃあ、なんでこんなことしてるの」
正義と名乗っているあなたが。公正を意味しているあなたが。
罪を見逃すばかりか、荷担してる。秘密を共有して愉しむ子供のように。
「答えなよ、ジャスティスマン」――その名とまるで矛盾している。
「……私は、お前を助けたかった」
「助けたかった、ね。そうだよね。だって、ずっと黙って見てただけだもんね」
「そうだ。私は見ていた。ただ見続けていた。あの日、あの時、私は落下していくお前を衝動的に抱き留めた。その理由も解せぬまま、お前が生きていくままを見守り続けていた。それだけが、お前に対してすべきことだと思っていたからだ。お前が殴られているときも、蹴られているときも、夏に裸足で歩いているときも、冬に外で蹲っているときも。なにをしてやればいいのかわからなかった。これといった感情も覚えなかった。私にはお前の苦しみも怒りも遠き地の出来事でしかなく、花が咲いて散っていくことと変わりないことだったからだ。だが、今は違う――お前の感情の発露を見て、知った。お前のことを、ようやく知れた」
ジャスティスは私の言葉を待たず、そのまま続ける。
「お前を知ることで、今までなにをしてやりたかったのか、お前と目が合った瞬間にこの体が動いた理由も、ようやくわかった。約束を覚えているのが私だけではないことを願い、お前が私を覚えていてくれていたらと、期待までした」
「……それで。ジャスティ、あなたこれからどうしたいの」
「お前が許すならば、お前を更に知りたい。お前をわかりたいと思う。そしてこれも許されるのならば、どんなことでもしてやろうと。……そう、思っている」
「じゃあ――」
ここで死んでよ。いますぐ死んで。死んでみせてよ。
そう言えば、迷わず死んでくれるってことでしょう。なんて馬鹿な人なんだろう。無知で、純粋で、善意を信じきっていて、眩しいほどに、いっそ――
「このまま、あなたに責任を取らせてあげる」
あなたを嫌っておけるまま愚かであればいいとさえ、私は思い始めている。