人はいつでも笑えるものです

「嫌になったら、こいつで刺せばいい」
 常に挑め。常に優れ、常に勝て。
 偉大な革命家の一人であり、今は亡き母からの教えをいつものように反芻する。……しかし、いざ対峙してみた考え得る限り最も手強い男からの挑戦状は、次々と積み上げられていく学習ドリルを解くよりも容易く思えた。
「躾みたいに?」
「呑み込みが早いな、お姫さま。そう、躾みたいに……だ」
 そしてサイドテーブルに置かれたペティナイフへ伸ばされようとした私の手をダブルベッドへ縫い付けて、男は「好きだ」と囁く。私は一言も返さない。それくらいは彼も承知の上だった。
 東方天乙統女が布いた新たな法の下で、銃刀法は特に男性を厳しく罰するように義務付けられている。ハサミからカッター、包丁に至るまで所持する刃物の数さえも管理される中で手に入れたそれをまあ、くだらないことに使う。自覚があるのか、返報のつもりか、天国獄は私の視線に応えないまま唇を塞いだ。
「好きだ、柘榴……」
 初めてでもないだろうに熱に浮かされた子供のような覚束なさで事を運ぶ姿が不思議と可愛らしく見えて、私は彼の力に逆らって上体を起こすと汗が滲んだ太い首へ片腕を回す。
柘榴?」
「下の名前を呼び捨てにされるのは嫌いなの」
「おい、待っ――」
 健康的に鍛えられた腹部へ深く。
 息が吐かれたのを見て、そのまま抜く。傷口を塞ぐようにお腹を押さえる彼の大きな手も隙間から溢れる血にすっかり濡れて、弱々しく、やっぱり――――なんだか、可愛らしい。もう一度刺したくなったナイフへ視線を送り、思い直して今度はベッドへ突き刺す。
「は、ハハ……マジで刺す、なんて、な。この……っ」
「…………どう?」
「どうもこうも、痛えよ。……くそ、ちんぽも痛え」
 生存本能というやつだろうか。彼は腹から血を流しながら、先程よりも元気に――言い換えれば終わりかけの蝋燭で燃え立つ炎のように立ち上がったものを指して「どうしてくれんだ」と半笑いで言う。
 どうしようか。私は少し迷ってから、生命の危機に瀕する男が浮かべた渾身の半端な笑顔へ触れるだけのくちづけをした。
「獄さん」
「ああ?」
「私の嫌なこと、ひとつ覚えられてよかったね」
「…………ああ。まったく、その通り」
 この人は、天国獄は、簡単には死なないだろう。きっと何度でも私を惑わせて、そうしたら私は何度でも同じことをする。その挙げ句に死んだところで、私が罰せられることもない――尚もシーツを汚す赤い血を流しながら愉しげに顔を寄せてくる男の赫奕とした瞳を見つめて、私は自らの口角が上がるのを確かめた。ああ、上手くいかない。可愛くって、勝てそうにない。なのに、こんなに嬉しいなんて!

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