君が為の嵐

 タヴにとって、それは己のすべてが奪われるのに等しかった。最初は居場所を得るために、次は身を守るために、その次は食い扶持を稼ぐために、繋ぎ合わせるように理由は増えて、そうして人生を捧げてきた。目の前で無情に転がるハーフドラウの鉛色をした手は、そうやってありとあらゆるものを掴んできた。食糧を、宿を、宝石を、賞賛を、安全を、明日を、生きるのに必要なだけの世界を。モンクとして生きてきた彼は拳を振るう以外の術も知らず、そして他を知る必要も無いと考えていたのだ。しかし。
 今、奪われた。

「…………いくら言っても、お前はわかってくれない。なぜだ、どうして、そんなに聞き分けが悪いんだ」

 お前だってそんな“困った子”だったじゃないか。
 言葉を呑み込んで、タヴはじっとゲイルを見た。彼の目にある今にも溢れ落ちそうな大粒の涙は、男にとって過去を思い出すのに充分すぎるほどの悲痛さを伴っていた。ああ、だからこいつと一緒に居てやらなきゃと思ったんだ。そう考えて、タヴはやはりじっとゲイルを見つめることしかできなくなった。
 些細なことで言い争って、どちらからともなく謝って、お前は美味しいお茶を淹れて、俺は適当な菓子を買ってきて、……それで済む問題ばかりなら良かったのだろうけれど。
 ゲイルはいつしか、自由気儘な恋人が『塔』から抜け出すのを酷く嫌うようになった。理由はタヴにもわかっている。タヴが一処に居られないくせに欲望に流されやすく、加えて危険にも巻き込まれやすい性質の持ち主だからだ。心配もするだろう。怪我を作って戻ってくる度に泣きそうな顔もするだろう。だからといって。だからといって、だ――
「ここまでしなきゃいけなかったか?」
 手首の断面は氷に覆われていた。肉体から分離したものも同様に。飛び散る血は最低限で済んでいて、こんな時までなんて賢いやつなんだと感心した。
 タヴは自身の大きな体を冷たい床に横たえ、「ゲイル」と未だ愛しい男の名を呼ぶ。その声音は優しく、甘い。
「お前が欲しがりなのは知ってたよ。お前が寂しがりなのも知ってるよ。俺が俺らしくあることがお前を苦しめてしまうのも、よく知ってるさ。なあ、ゲイル」
 微笑みを浮かべ、タヴは目蓋を閉じる。不規則に滴ってくるものを顔に受け止めながら、彼は安堵していた。
タヴ…………」
 ――――惜しまなかった。

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