色恋手習い・一日千秋

「習うより慣れろって言うだろ?」
「……初めて聞いたが。まあ、お前の言いたいことはわかる」
 本当だろうか、と伊賀七は目の前のひとを疑ってみた。それが悪いわけではなく、むしろ可愛らしいところではあるのだが、浪人は変に意地を張るところがあるからだった。だが、今はそんな癖が逆にありがたいとも感じる。兎に角、今日こそは事を運ばなければならないのだから。
「発明も失敗を重ねた先に成功があるものさ――というわけで、目を閉じてくれるかな」
「いや、少し待ってくれ」
「ええ……?」
 浪人は、先程の言葉とは裏腹に納得していないような表情で腕を組んでいる。頼まれごとであれば一も二もなく引き受けることだって珍しくない人物がここまで渋るのは初めてじゃないだろうか、と伊賀七は思った。なんとか反論が出せないものかと考えているらしい固く結ばれた唇を見つめていれば、「しつこいぞ」とまで言われる始末だ。
 ――僕たち一応、恋人なんだけど。
 緊張しているのだろう、拳のかたちで力んでいる浪人の手を擦ってやりながら、伊賀七は緩く笑う。
 くちづけひとつで一悶着あるとは考えていなかった伊賀七は、しかし、河豚毒や賊の本拠目掛けての滑空よりも自分とのくちづけに渋い顔をされていることはさて置いて、そういう態度を取ってくることすら好ましく感じてしまっている事実に予想外の興奮を覚えた。

『いっそ僕らで一緒になった方が便利かもねえ』
『そうだな、私もそう思う』
『……いいのかい?』
『なにがわるい?』

 そんなやり取りで成った関係であるとはいえ、二人は恋仲として互いを想っているし、着々と段階を踏んでいる。
 踏んでいる、はずなのだが……。
「伊賀七。その、さっきから気になっているんだが……お前が、私に、するのか?」
 ここにきて浪人が初々しさを発揮するなど、誰が予想出来ただろうか。
 手を繋ぐとも共に寝るのも「わかった」で済ませてきた人物がくちづけごときに狼狽える姿!――許されるものなら写真術でその姿を残しておきたかったが、伊賀七とて良心がある。それに、浪人から嫌われてしまうことは避けたかった。せっかく心を許されて、自分自身すらも知らないところを伊賀七に明かしてくれているこのひとの気持ちを裏切るなんて、恐ろしすぎる。
「うん。そうだけど?」
「それはおかしい。私が慣れるためにするのだろう。ならば、私からお前に口付けるのが道理じゃないか」
「……あー。そうかそうか、なるほどね」
 どうせそんな問題ではあるまい。と読みながら、伊賀七は浪人の時間稼ぎに付き合ってやる振りをすることに決める。
「でも君、考えてもごらんよ。どう考えたって、僕から君にする回数の方が多くなるに決まってるじゃないか」
「そうとも限らないだろう」
「じゃあできるのかい、今すぐ」
「うっ…………」
「ほらね。君はまず、この――緊張している口を落ち着かせてあげるのを練習しなきゃいけないんだから」
「んむ?」
 浪人の唇に指を押し当てた伊賀七は次の瞬間に逃げ出そうとするその人を器用に捕らえてしまうと、今度は唇でそこに触れてみせた。
 ぱち、ぱち、と瞬きをする浪人の目が、困ったように笑う伊賀七を映している。
「……まいったな。こう固いと、した気がしないや」
「…………なる、ほどな?」
「おっ、やっとわかってくれたようだねぇ!」
 すると、目を見開いた浪人が、伊賀七の嬉しげな顔をしげしげと見つめはじめた。
 なにかへ興味を引かれたときにするこの顔が、伊賀七は一等好きだった。浪人も戦いに身を置く者であるからして、兵器としての絡繰に興味があるのは致し方ない。だが、この浪人は“そうではない”ものにも目を向けている。特に、兵器に転用しようと思えば出来るだろう、ただただ人を楽しませるだけの絡繰に。同じように、人と人との触れ合いにも愉しみを見出してくれたなら。
 ――彼の願いは、きっと叶っている。
「伊賀七、もう一度だ。次は負けないようにする」
「……うーん、勝負じゃないんだけどな。って君、なにに負けたと思ってるんだい」
 叶っている、はずだ。

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