
五月雨の過ぎ行くには
海賊狩りをしていたら、人手不足だという海軍支部からスカウトされた。安定した収入に釣られて頷いたのが、それが、すべてのはじまりだったように思える。
そこから流れに流されているうちに、インペルダウンで看守をすることになった――――雨のシリュウと呼ばれる男とは、そうして出逢った。
ハチノスでは雨が降り続いていた。血の雨ではない。ただの、そのうちに通り過ぎて行く雨だ。
「シリュウさん、ザクロです。……入りますよ」
日によって重たくも軽くもなる扉を開けば、その男は革張りのソファに巨体を沈めながら葉巻を燻らせている。いつも通りの光景だ。かと思えば、彼は不意にこちらを見た。
「……お前、まだそんなもん付けてんのか」
そんなもん――シリュウさんの視線が、わたしの首元に向けられていた。そして、まるで応じるように、首から下げた革紐に通した指輪が鈍く光っている。
看守時代にいただいたものだ。銀色のそれには紫色の鉱物が埋めるように留められていて、邪魔になってはいけないから、という贈り主の気遣いが見て取れる品だった。最近になって、ジュエリーボックスから溢れんばかりの装飾品に見劣りしてしまうという理由で指から外したのだけれど。
とはいえ。日頃の横暴はいざ知らず、まだそんなもん付けてんのか、と言われても仕方の無いことだと思う――他でもないあのひとからの贈り物だったから。
「目障りでしたら奪えばよろしいでしょう」
海賊らしく、と付け加えれば睨み返される。
囚人たちは――看守たちですら、この目を、この男を恐れていた。シリュウさんはわたしが発言を撤回しないと踏んで、葉巻を静かに、そして深く吸い込む。
「監獄に戻りてェなんて言うんじゃないだろうな」
「まさか。戻ったところで囚人ですよ」
「フン……どうだか」
「なにか思うところでも?」
シリュウさんは煙を吐き出しながら「おれの直属からてめェの手元に移そうとしたときも、形振り構ってなかったじゃねえか」と嘲笑を浮かべた。
ああ――あの時は無関係の囚人にまで被害が及んでしまって、後始末に何日も費やしたのだった。シリュウさんの刻んだ切り傷にマゼランさんの毒が入り込んでいたのが特に酷かった。結局その場で決着は付かなかったのだけれど、禍根を残したのは語るまでもない。
「わたしはどちらでも構わないと言ったのに」
「お前がどっちか決めりゃよかったんだよ」
「……終わったことです」
そう、終わったことだ。通り過ぎて久しい過去をなにを思ってか持ち出してきた男が、今度はにやりと笑いながら刀を抜く。切っ先は当たり前のようにわたしの心臓を狙う。
「おれのものになるか、ザクロ」
不思議と恐ろしくはなかった。
ずっと、出逢ったときからずっと、あなたは畏怖に値しなかった。わたしがおそろしかったのは、停滞し、淀み、濁り、何処にも行けなくなることだったから。
「すみません――雨の音で、聞こえませんでした」
舌打ち。聞かなかったことにしてあげる。
シリュウさんは変わらずわたしの首元を見ている。わたしは黒い雲の埋め尽くす窓の外を見ている。どうして愛してくれるあのひとよりもあなたの傍を選んだのか、気付くときにはまた雨が降るだろうと思った。赤くて、赤い、血の雨が。