だれもひとりで

 女は一糸も纏わないまま窓際に立ち、眼下に見える海の揺らめきを見つめていた。朝陽を反射してちらちらと自ずから輝いてみえる水面は、割れた硝子の破片のようにも映る――女はそう言って、ベッドに横たわったままのイッショウへ振り返った。男は口角を上げて「よく分かりやした」と返して、ザクロを手招く。男には見えないことをわかりながらも頷いた女のひんやりとした柔肌がまだ熱を持つイッショウの体にぴたりと寄り添い、それから、ザクロは小さな声で昨夜の続きを話し始めた。
「父は海賊でした。母も海賊でした。海の上で私は作られて、海の上で私は生まれた。だからでしょうかねぇ」
 男は聞いた。静かに聞いた。彼女の息継ぎまで聞き漏らさないようにしながら、その心音が昨夜と変わらず穏やかなことに細やかな傷を負っていた。肉体と同じだ。女は冷えて、冷たく、凍えていて、溶かせない。きっとどれだけ肌を重ねても。
「――――私は、海の底に沈むべきだと思うんです」
 永久の凍土から吹く風がそう告げた。そして微かに笑った。自嘲かもしれない。イッショウには、その違いまではわからなかった。目が見えていたとしてもわからなかっただろう。
「……あんたは海嫌いだと聞いてたが」
「ええ。恐ろしいです」
「それに、だからって目の前で死なれちゃ敵わねェ」
「死にたくなんてありませんよぉ」
「だがあんた、ついさっき……」
「私はね。あなたを一目見て、あなたが良いと思いました」
 ――あっしが期待するほど甘い理由じゃねえんだろ。
 イッショウは諦念にも近い気持ちを抱きつつもザクロの背中へ片腕を回し、拒まれないことがわかるとそのまま錠でも掛けるように両腕で囲った。イッショウにとってのザクロは惜しまれる声が止むことのないほどサカズキに心酔しておきながら、そんな過去をおくびにも出さないでいた食えない女だ。動揺するでもなく、されるがままに腕の中へ留められているその女は、今度はよりはっきりとした声で続ける。
「あなたが隕石を落とす横で私は角砂糖をブランデーに浸して、それから紅茶に溶かすのを楽しみたい。机の上にはお気に入りのクッキーとマシュマロも並べて、次はなにを食べようかと悩みたい。大きな声で笑って、汚れた指はテーブルクロスで拭いてしまいたい」
「誰かさんから叱られそうだ」
「ええ、その通り。でもね、私とあなたはどんどん大きくなる怒鳴り声も無視してしまう。私を呼んでる声がどんなに怖くても、あなたの背中に隠れてしまえばいい。……ねえ、イッショウさん――イッショウさん」
 名を呼ばれると愛おしくなる。繰り返されると殊更に。理由なんて考えるまでもない。とっくに惚れて、落ちてしまっただけだ。だというのに、女の心は別にある。
「私だけで海の底に行くのは、寂しいから。だから、あなたを道連れにしたい。こんな女は、お嫌いですか?」
「…………まさか」
 嫌だと返せたらどんなに良かったか。彼女が本当に欲しがっているひとはきっとそう返す。だが、女が問い掛けた相手はサカズキではない。なれるはずもない。虎が犬になれるものか。イッショウはザクロの体を軽々と持ち上げて自らは立ち上がると、変わらずされるがままの女の唇を吸い、その冷たさにも笑ってみせた。
 女の付けた火が熱い。自分だけが燃えている。なんて女だ、と、また笑った。

送信中です