
理想郷は居場所じゃなかった
内密に、と。
気取らない笑みを浮かべながら分け与えられたひとつの飴玉がはじまりだった。わたしたちのささやかな“秘密”は頭のなかが溶けてしまうほど甘く、噛み砕くことを躊躇ってころころと転がしているうちに内側から腐らせる毒と化していたことへ気付いたとき、差し出されたのもまた――
「ん、……せん、せい……」
さっきまで乾いていたファビウス先生の唇が、わたしの唾液でふやけている。隠されたものを探すようにじっとりとわたしの口の中を弄っていた舌が濡れた音を立てながら居なくなると、闇夜にひとり放り出されてしまったような寂しさに襲われた。わかっている。わたしが苦しそうにしてしまったから、やさしさでそうしてくれたのだということはわかっている。けれど寂しい。
わたしはどうにかなりそうだ。
「もっと、キスして、せんせぇ」
唇を重ねて、ちゅ、と離れて。
ちゅ、ちゅ。と繰り返される度にふわふわと浮いてしまいそうになるわたしのからだを掴まえて、ファビウス先生はわたしごとベッドへ倒れ込む。そして粉砂糖を振りかけたみたいに情欲をまぶした眼差しでわたしを見つめながら、布越しにもはっきりと伝わるほど硬くて、大きくて、興奮しているのがわかるものを密着させると「いいかな?」なんて言う。
よくないと言ってもするくせに――そう思えるだけの中身がまだこの頭に残ってるのに、わたしは小刻みに頷くことでなにも知らないふりをした。
「先生」
人間としての皮を剥ぎ取っていくように服を脱がされて、わたしはわたしにふさわしい姿で希う。
「ファビウス先生、おねがい……」
「うん」
こどもへ返すみたいに穏やか。
「ザクロ、なにをしてほしい?」
獲物へ牙を突き立てる、けだものみたいに恐ろしい。そんなあなただから、とびきり痛くしてほしくなる。酷いことをして、嫌いになってしまいそうなくらいたくさん、わたしだけのあなたがほしい。
そして、どうか、この恋心を見棄ててください。
憧憬て、ひどく焦がれて、もはや崇拝に近かった。わたしはぐずぐずになるほど熟れてどうしようもなくなってしまったそれをはやく摘み取ってあげて、奥底に閉じ込め、蓋をするべきだと思っていたはずなのに。
「……それ、で」
わたしは視線で彼のスカーフを指して、両手を揃えて差し出す。意図を汲み取って解かれた布を持ちながら、ファビウス先生は「言うんだ」と続きを促す。隠すもののない首がごくりと唾を飲むのが見えた。お腹の辺りへ押し付けられるものが質量を増して主張している。
「手首、とか。結んで……ください」
彼は略取したわたしのこころを丸齧りにして、貪るように食べ尽くして、わたしのすべてを暴いて、それから口移しに彼の一部をわたしにくれた。『私もただの男だ』と言って、ただの女なんかに遣るべきじゃないものを。
「結んで――それから?」
「……す、すきに、してください」
「だめだ。……違うだろう、ザクロ」
目の前で望み通り結ばれていく手首はなにも言っていないのに骨が軋むほどきつく縛り付けられた。
「たまに、ベルト、で、……叩いて……ください」
「ああ」
既に外した腰のベルトを握って、ファビウス先生は、いつのまにかどろどろに煮詰まっていたカラメルのような視線でわたしを急き立てる。
甘い。あまくて、くるしい。
まだやさしい。まださみしい。わたしはおかしいのかな。ファビウス先生、せんせい、わたしの――
「それだけじゃないはずだ」
「あ、っわ、わたしが、やめてって言っても、……やめないで……ほしい、です……」
「なにをだ?」
「…………セックス、を」
「ああ。よく言えた、偉いぞ」
「ん、ぅ――ッ?!」
わたしの頭を撫でながら性急に捩じ込まれたそれは、あるはずの痛みを置き去りにするかのように奥まで一気に突き立てられた。
「あ゛ッ、あ、……っ! せ、せん、せ……」
反射的に縮こまろうとしたからだはベルトに打たれて硬直し、そのままファビウス先生に押し潰される。けれどとっくに限界まで入り込んでいたものだから子宮が亀頭で押し上げられて、それなのに、
「イ、く、いく、っあ、やだ、せんせぇ、ファビウスせんせ、せんせぇ――」
ひたむきに蕩けた嬌声だけが出る。
「っひ、あ、あぁ……っ!」
「……は、っああ゛、ザクロ、ザクロッ、私の……!」
ファビウス先生が力強くわたしを抱き締めながら、ばちゅばちゅと腰を打ち据え、ばらばらになってしまいそうなわたしを逃すまいと、ひとかけらも見棄てまいと、わたしの名を呼んでいる。
――わたしのものだと、言ってほしい。
わたしはあなたの、あなたはわたしの、此処のみに咲く花の蜜を味わって……もう、どうにかなってるのかな。