よなよなよあるき

ザクロさん。あっしは何処へ連れて行かれるんでしょう、何しろ皆目見当が付かねえもんで……教えてくれるとありがてェんだが」
「……さあ?」
「さあ、ってのは答えになりやせんよザクロさん。……ザクロさん?」
「聞こえてますよぉ」
 そのなんとも気の抜けた答えが己の遥か下から返ってくると、イッショウは溜め息をぐっと堪えて今は手に携えているだけの仕込み刀を握り直した。もう片方の手は返ってきた声の主の肩へと置かれたまま、いっそそれぞれで歩こうかと逡巡する。ここは海軍本部のお膝元、大通りにさえ出てしまえば他の海兵が恐縮しながら案内してくれるだろう。
 女だてらに――この言葉を彼女に掛けたことが知れたらいくらイッショウでも半殺しにされかねないのだが、彼がザクロの声から受ける可憐な印象はなかなかどうして拭い難いものであった――海軍の武闘派としてエリート街道を進んでいたザクロがイッショウの直属の部下、陰口曰くの“介護人”として“栄転”することが決まったのは、彼が大将のコートを羽織ることになったのと同時だった。文武を両立し、目に見える程の自信と野心に溢れながらも品行方正で何より忠実。イッショウの知るザクロはぬらりくらりと受け答えする柔らな女だが、以前の彼女は今の姿からは想像もつかない、烈女と呼ぶに相応しいものだったと噂には聞いていた。世界政府からの覚えもめでたい彼女の立身出世を阻んだのは、世界徴兵によってやって来た強力無比な能力者。
 つまり、イッショウのことである。
 なんてこった、そいつぁ恨まれても仕方がねェや――――そんな負い目もあってか、イッショウがザクロに頭が上がらないのは本部に所属する海兵ならば誰もが知るところである。
 鉄火場に彼女が迎えに来れば一も二も無く素直にぺこぺこと平謝りして促されるまま帰っていく大将藤虎の姿は海軍の沽券に関わるとして小規模ながらも会議が開かれたことは、イッショウにとって忘れられない思い出になっていた。ザクロの執り成しによってサカズキのマグマを喰らうことにはならなかったことよりも、元部下と元上司の間柄とはいえあんたらのその気安さはなんだい、と別の意味で肝を冷やされたことの方が重要だったが。

ザクロさん」
 いつもならば真っ直ぐに本部の自室へと向かわされる足は、どうしたことか右へ左へと未知の道を進んでいる。彼女が「右に曲がりますよ」だとか「四段の階段があります」だとかの声を律儀に掛けてくるのだけは変わらないが、だからといって安心して身を任せる理由にはならない。逆に、イッショウは恐ろしさまで覚えた。彼女にも、いつも通りにその声の心地良さへ浸る自分にも。
ザクロさん」
 怒らせるようなことを――いつもしてしまっているが。特別に何かが起きたわけでもないのに、無視までされるとはどういうことなのか。イッショウは己の中の不安が沸々と不満に変わるのを感じながら、ザクロの肩に置いた手へ力を込めた。止まってくれ、という時の合図だった。
 呼び掛けは無視されてもこれならば無視できないだろう。そんな目論見は当たって、ザクロは反射的に足を止めたことにかやや不満そうな息を吐いて「どうしましたか」とイッショウに問う。どうもこうも。イッショウは負けじと溜め息を吐くと、改めて彼女の名前を呼んだ。
「……ザクロさん、いい加減――」
「今夜は風が穏やかで、気持ち良いでしょう?」
「…………あっしを誤魔化そうったって」
「遠くの方から運ばれてきた花の匂い。あちこちで煮込まれているシチューの香り。耳をすませば野菜を刻む包丁の柔らかなリズムが聞こえて、ほら、何処かでトランペットも吹かれてる。潮風に紛れて消えてしまいそうな、それでも届いてくるいろんな幸せ。どんな人だろうと想像してみるんです、どんな家族なんだろうって。私には無かったものだから、想像だけ。そうして想いを馳せたら、本当にこの世界が嫌になる。こんな…………」
 イッショウは、続く言葉を知っていた。
 だから静かに首を振って、「いけやせん」と小さな声で彼女を諌めた。ザクロの鼻がスンと鳴る。イッショウでないと聞き逃す、なにかを我慢するときの彼女の癖だった。サカズキさえも知らないだろう。こんな弱みも、可愛い癖も。
「こんな…………日には、……夜歩きを、するんです」
「へェ。へへへ、そりゃあ良い趣味だ。規則にはうるさいザクロさんにもそんな趣味があったとは」
「……ちゃんと許可は貰っています。今日は二人分」
「するってェと…………アレですかい。こりゃお誘いと受け取っても?」
「さあ?」
 その、なんとも気の抜けた返事が――彼女なりの照れ隠しだとわかったものだから、イッショウは堪らない気持ちでザクロの肩へ置いた手を、女を抱き寄せるための手へと変えた。大した抵抗も無く男の体に寄り掛かる女の心音が聞こえる。その姿を目に焼き付けながら抱き抱えて走り出せないのが惜しくなるほど、急激に、急速に、名前と熱を得たばかりのザクロへの情が暴れ回って仕方なかった。
「何処へ連れて行かれたいですか、イッショウさん」
 そして囁きは火を打つように。

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