
マモンの嘆息
ジョルディ・チンという男は、モンドリアンの絵を首を傾げながら数秒ほど眺めてみた後に「なあ、腹減らないか?」と言いのける男だった。ホクサイにも「へえ」の一言で済ませ、レオナルドには目もくれない。ギフトショップでチープなチョコレートを買ってはひとつだけ口にして残りを私に寄越したりなんかすれば、決まって恩着せがましく何らかの要求を始める。思い通りになるまでしつこく。それはもう、執拗に。
「なあ、腹減らないか?」
――改めて思う。嫌いだ、これ以上、無いほど。
「減らない。何処にも行かない。帰ってくれない?」
「そうか」
私のアトリエで仕事道具のメンテナンスを始めた男は、今日も今日とて長居するつもりらしかった。お腹が空いたのならさっさと何処かへ食べに出てそのまま戻ってこないでほしい――ああ、あれもそれも片付けてから。ジョルディの周りには、スナイパーライフルからハンドガン、大小様々なナイフに小型爆弾と思しきものや、一見して用途のわからないものまでが独自の法則で置かれていた。それから、邪魔だと判断されて隅で山になっている使い捨てのスマートフォン。そのひとつが震える。
「……出なくていいの」
「ああ、いいんだ。そいつは金払いが悪くてな、おまけに察しも悪いから次に殺されるのが自分ってことにも気付いてないらしい」
聞くんじゃなかった。
次のターゲットらしい人物からの着信が切れたところで、私は今度こそ作品に集中しようと鑿を取る。わざわざ日本にまで行って手に入れた道具はいつ持っても手に馴染み、心を落ち着かせてくれる。売れない画家のアトリエに似つかわしくない金属音と男の鼻歌を聞き流しながら刃先を当て――
「なあ、ニューヨーク行かないか?」
男の声が中断させた。
「……あなたの仕事は二度と手伝わない」
ジョルディはサプレッサーを取り付けるためのネジを指先で無意味に弄くっていたのを止めて、「まあ聞け」と続ける。集中力を取り戻すのにそれなりの時間を要する私の性質を知っての行いだ。よっぽどのことなのだろう――そして恐らく、私にとってはどうでもいいことだ。
「美術館があったろ」
「……ある。けど」
「でかいやつだろ」
「世界最大級のね」
「行かないか?」
「嫌と言ったら」
ジョルディが「そう来るか」と、笑顔を見せる。彼は何かへ納得したかのように頷きながら立ち上がると、なにがなんだかわからないままの私の横に立つ。そして私の左手を取ると、
「二度と行きたくなくなるかもな?」
私の指にナイフの先端を当てた。
「……私、本当にあなたのことが嫌いよ」
「俺は好きだ。あんたのことを気に入ってる」
「こんなことをしても?」
「こんなことをしてでも」
首を縦に振らなければ、きっと切り落とされるのだろう。この男は、そういう人だ。
「買うのは……チョコレートじゃなくて、……ポストカードがいい」
「わかった、そうしよう。約束だ」