楽園にはまだ遠くとも

 光を取り戻した地の穏やかな夜が明けて、優しい陽射しが一面を照らす頃。ヒバリの鳴き声と共に身を起こしたハルシンは、眠るティーフリング――ダークアージを起こさぬように、その額へ口付けた。
(どんな夢を見ている?)
 ダークアージの眉間に皺は無い。拳を握り込んでもいない。……泣いてもいない。寝息を立てたままのダークアージを見つめながら、ハルシンはそっとベッドから抜け出す。ウッドエルフのドルイドに合わせた生活を望んでいるわけではなかった――そうなれば喜ばしいことだとは思っているし、ダークアージは最大限に理解を示してくれてもいるが。
 ハルシンとダークアージの暮らす質素な小屋は、いつも薬草の匂いがする。
 深く息を吸い込めば、昨晩飲んだハーブティーの香りが残っている気もした。ハルシンが育て、ダークアージが摘み取り、二人で淹れて、リラックスしながら微笑み合う。アロマキャンドル、マッサージ、それに加えて自然との対話。一番はお前が居ることだろうと語ったダークアージからのキスは、ハチミツに勝るとも劣らないほど甘いものだった。
「ふ……っ、ん?」
 気を紛らわそうと体を伸ばせば、不意に背中が鋭く痛んだ。原因は明白だ。ティーフリングの鋭い爪が分厚い筋肉に食い込むのを歓迎したのは、他でもない自分自身だった。鮮明に思い出さないためにストレッチをしようとしたんだが、と、ハルシンは半ば呆れたように笑う。
 今夜も求めていいものだろうか――男の視線が、ベッドに向かう。まだ眠っているはずの恋人は、しかし、しなやかな肢体を遊ばせながら起き上がった。
「ハルシン」
「おはよう。……まだ寝顔を眺めていられるものだと思っていたんだがな」
「そんなもの、――見ていて楽しいのか?」
「ああ。五十年は続けられる」
 エルフのジョークはわかりにくい。そう言いたげに肩を竦めて、ダークアージはベッドから降りないままハルシンを呼んだ。断れるわけがない。
 ハルシンはダークアージの顎を指で救うように引き上げると、その唇に軽くキスをした。どちらともなくもう一度、二度、繰り返していれば可笑しくもなってくる。耐えられずにくつくつと笑いはじめたダークアージは「もう終わりだ」とハルシンの顎を噛んで、ベッドに再び寝転んだ。
 それから、すんと鼻を鳴らしてハルシンをじっと見つめながら言う。
「後で傷の手当てをしないといけないな、ハルシン」
「俺はこのままで構わないが……」
「馬鹿、子供たちのためだ」
 それはきっと、ダークアージが先日頬杖を突いて『ペテンが通用しなくなってきた』とぼやいていたことと関係しているのだろう。
「…………私が孤児を保護して育てているなんて、彼が知ったらどう思うか」
 あの執事。あの暴君。あの殺戮の王。それとも、あの奇妙な友人。ダークアージが“彼”と言って指し示すものは幾つかあったが、ハルシンは希望を込めて、最後のひとを言っているのだと思うことにした。
「お前は、どう思われたい?」
「そう、だな……」

「わからないが、彼なら、きっと――――」

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