
おかえりマイゴッド
俺のことは、死んだものとでも思ってくれ――最後に聞いたのはそんな(馬鹿馬鹿しい、冗談のような)言葉だった。
しかし。
「見違えるほど綺麗になった」
懐かしむように。何故だか眩しそうに。いつまでも輝きを失わない目を細めながらそう呟いたレイモンド・ケニーのことを、私は今のいままで本当に死んだものだと思っていた。
「まぁ、お前にもいろいろあっただろうが元気そうで何よりだ。悪かったな、来るのが遅れちまった」
彼が死んで、悲しみに暮れる間も無くニューヨークでの大停電が起きた。師事し、敬愛し、永遠にその才能を支えるつもりでいた男の名は犯罪者として歴史に刻まれ、同時に私は生きるための目的を失った。聞いていなかった。理解できなかった。受け入れることができなかった。祈ることさえできなくなった。停電に於ける被害は大きく、死者の中には母と、兄と、義姉と、掴まり立ちができるようになったばかりの甥も居た。
「…………どうして」
「どうして、か。どうしてだと思う?」
お前の意見を聞きたい。その言葉が続く気がした――かつてのように。忘れていたはずの日々が息を吹き返し、頭の中を鮮やかに埋め尽くしていく。あの頃の私の喜びと幸せはあなたが指差した先にあったし、苦しみも悲しみもあなたが居ることで成り立っていた。そんな、素晴らしかった日々を再現するかのように、レイモンドが私の手を取る。
そして薬指の指輪を奪った。
「か、返して――っ」
高く掲げられた、照明を反射する小振りのダイヤ。軽くなった左手を思い切り伸ばし、取り返そうと跳ねてみる。咄嗟の動きに、ふらつく着地。すべてを読んでいた男が片腕で支えた体は、その胸の中にいとも容易く収められた。
「そんなに大事か、チャチな指輪が」
「……あ、明日です、明日、私は式を挙げるんです。あなたを失ってからここまで、……長かった。ずっと、私、ようやく、やっと…………」
「だが、俺が来た。お前を迎えにな」
レイモンドが悪戯を思い付いた子供のように口角を上げる。しまった――私が気付いたの同時に放り投げられた指輪が、壁にぶつかり控えめな音を立てた。すぐにでも忘れられそうなほど細やかなそれを思うことは一秒たりとも許さないとでも言うように、「行こう」選択肢すら掻き消さんとする男の声が耳元から響く。
「俺と行こう」
「……どこへ?」
「どこまでも行ける。どこにでも連れて行ってやるよ。俺たちが組めばなにも怖いものはない、俺たちは無敵だ、そうだろ?」
――過去の話だ。
今やあなたは追われる身で、私には婚約者が居て、模範的な人間と普遍的な生活をして、そういう日々を幸福と呼ぶのだと決めて、……決めたはずなのに、死んだはずのあなたがここに居て、私を抱き締めているせいで、根底から覆されていく。揺らいでいる。なんて脆い蓋だろうか。
「レイ、私は、行けない」
「お前は俺の大事な大事な右腕だ。昔も、今も……」
「あなたは死んだ」
「いまは生きてる」
「わ、私のことを、置いていった……」
「お前を守った。わかるだろ?」
レイモンド・ケニーのことを、他ならぬ彼の言いつけ通り、死んだものだと思っていた。
「でも……」
祈ることさえできなかった。そんな資格は無かった。あなたが生きていると信じていたかった。
涙を流しながら、あなたさえ生きていればいいと思っていた。
信じていた。ただ、待っていた。
そう、昔から……昔も、今も、……これからも。
「俺と来い。お前が必要だ、ザクロ」
「……ぁ、あぁ、あ、ああ……」
私には余りある大きな背中に腕を回せば、強く、つよく抱き締め返される。あつい。くらい。いたい。嗚呼、レイ。レイモンド、あなたが居る!
「そう。……ああ、そうだ。いい子だ」
あなたが生きている。
わたしのすべてが、戻ってきた。