浪々福々

 恋仲の者が、目隠しをされた状態で転がっている。
 常ならば焦るべきであろう事を前にして、福沢諭吉はどうしたものかと顎を擦った。彼の足元へ猫が擦り寄ってみゃおみゃおと鳴く。庭で休んでいるこんぴら狗もわんと鳴く。慣れ親しんだいつもの長屋式の歓迎だ。なんとも――安穏としている。隠し刀の姿、それ以外は。
 縁側で日に当たる浪人の腹の上には一際肥えた猫が陣取って寝息を立てているが、敷き布団と化しているその人はぴくりとも動いていない。気絶しているのか。そんなまさか、こんなところで。そもいったいどうすればこうなってしまうのかと考えながら、福沢は静かに近付いた。忙しなく走り回る浪人がただ休んでいるのであれば邪魔になってはいけないという考えからだった。
「福沢だろう」
「え、ええ。すみません、上がらせてもらいました」
 起きていたのか。起こしたのか。福沢は己の気遣いが意味を成さなかったことを僅かに恥ずかしく思いつつ、転がったままの浪人の近くへと座る。
「視線が刺さるな。気になるのか?」
「当然です」
「子供たちを相手に目隠し鬼をしていたんだ」
「まさかそのまま帰って来られたんですか?!」
 このひとならばやりかねない。驚いた男の声が大きく響いて、浪人を囲んでいた猫のうち数匹が飛ぶように散っていく。図太い数匹が動かないまま抗議でもしているのか一様に鳴いたので、福沢は手を合わせて詫びた。
 浪人は見えないなりに面白がっているらしく、深い仲の者の前でしか溢さないくつくつという忍び笑いを挟んでから「違う、まあ聞け」と福沢に言った。
 曰く、国許を離れてからしばらく修行らしい修行をしていなかったと。片割れに頼れない今、目隠しをすることで視認に頼らない動きができるようになるのではと。福沢にとって頭の痛くなる理屈を捏ねながら、浪人は腹の上で眠る猫を起こさぬように撫でる。
「毎度結ぶのは手間だと目隠ししたまま休んでいたらいつの間にか眠りに落ちて、またいつの間にかこうなっていてな。納得しただろうか」
「納得は……しましたが」
「したが、どうした」
「あなたを信じていますから、大事でないとはすぐに気付きました。ですが――一瞬、肝が冷えました。ここが安全な場所でよかった、そうでなければどうなっていたか」
 福沢は浪人の頬へ手を添えて、「いつも、……いつも心配しているんですよ」と言い含める。
 声音こそ優しいが、頑とした性質のある男らしい厳しさも伝わる言い方だった。浪人といえば実のところまるでぴんと来ていなかったし、軟な育ちではないのだから大丈夫だという考えをそのまま言いかけて「わかった」と辛々返すような始末であったのだが、しっかり泳いでいた目は隠されていたので咎められもしなかった。
 暇を持て余した犬が、隠し刀の袴を引っ張りながらくぅんと鳴いた。

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